Workshop 2014
Guest poets: Donatella Bisutti, Laura Garavaglia (Italy)
Guest: Tomas Venclova (Lithuania), Zang Di (China), Ming Di (China)
Date & Time: August 2nd. (Tuesday)2011, Venue: Kitchen Stories (Editor's house/studio)
Program: Free Discussion on "On Translating Poetry "
Participants: Noriko Mizusaki, Mariko Sumikura, Caron Stijn, Hiroshi Taniuchi, Chiyo Kitahara
Guest: Hughes Labrusse (France), Gabriel Rosenstock (Ireland)
Talk about "Poetry and Art" "Poetry for Chiidren" Participants, Members of Japan Universal Poets Association and Contemporary Kyoto Poets Association
Guest: Rafael Soler (Spain)
Guest poets: Donatella Bisutti, Laura Garavaglia (Italy)
Guest Poet: Marius Chelaru (Romania)
Guest: Jana Kuzumikova(Slovakia)
Guest poet: Salley Crabtree (UK)
Guest poet: Germain Droogenbroodt (Belgium)
Guest poet: Katrina Naomi (UK)
Guests: Prof. Taimi Paves (Estonia)
Guest Poet: Armenuhi Sisyan (Armenia)
Guest:Photo grapher Ron Rosenstock (USA)
Guest Poets: Jüri Talvet (Estonia), Odveig Klyve (Norway)
Date: February 24, 2020
Coordinator: Dr. Tamara Litvinenko ロシア科学アカデミー地理学研究所社会経済地理学部門上級研究員 senior research scientist, The Institute of Geography, Russian Academy of Sciences, Department of Social and Economic Geography. 同志社大学経済学部客員教授
Participants, Taeko Uemura, Mariko Sumikura, Taro Kishimoto, Chiyo Kitahara, Kikumi Shimoda, Chiaki Hamada, Reiko Ichihara, Mayumi Ishida.
詩について
ユーリ・タルヴェット
スペインの後期ロマン派詩人グスタヴォ・アドルフォ・ベスケール(1836-1870)は、有名な小品がある、訳は次のようになる。
詩は何なのです?ときみは尋ねる
きみの青い瞳とわたしの瞳が重なるとき
詩は何なのです?するときみはぼくにそれを訊くんだね。
詩は・・・きみなのさ。
(¿Qué es poesía?, dices mientras clavas
en mi pupila tu pupila azul.
¿Qué es poesía? ¿Y tú me lo preguntas?
Poesía... eres tú.)
ベスケールの詩「リマⅣ」ではもっと感傷的な心象風景がみられる。最後の詩で、詩人は高揚を徐々に積もらせ、「新しい芽が出るかぎり」克服できない信仰、「世の中の神秘があるかぎり」「思い出と望みが消えないかぎり」「世の中にひとりでも美女がいるかぎり」詩は決して絶えることがない。
詩はたんなる言語ではない。リズムだけもなく、韻や音の調和だけでもない。それにまつわるすべてを超える何か、本質的に詩に属するが、人間の心の発散を超えたより大きな精神を包含しない限り、簡単に費消される。 その精神は自然の中で孤独な生活を送っており、すべての人生の非反復的な全体を通してのみ感じることができるのだ。
単純すぎると思われる場合は、ロマン派の他の詩人(シェリー、ワーズワース、ヘルダーリンなど)からの例がさらに見いだせる。 ベッカーの詩の主な趣旨は、より完全にかつ早く聞くことができる。どこかに情報源が隠されている。
本物の詩人が詩を書いている間、自分の「読者層」や作品の受容者について考える(または考えるべき)とは思わない。 代わりに、彼/彼女は彼自身と正直に対話する必要がある/彼女自身を超えて彼/彼女自身を超えて、自己複製に終わらないようにしてほしい。
いかなる理論によっても再現することはできまい。 それは芸術以上のものであり、同時に芸術そのものでもある。詩について言えば、「リアリズム」という言葉はほとんど使われていない。 しかし、詩が最初から詩の核心を、美しさをぼやけさせ、高尚な飛行を引きずりおろす気層や地上で取り囲んでいなかったことを意味するものではない。 詩に適用された形式(定型、規則性、法律、固定律)は、それらの急速な消耗を証明する。
詩に欠けているものについて書くことは、良い詩を書くよりもはるかに簡単なのだ。 そのため、批評はたくさんあるのが、良い詩はなかなか珍しい成果といえる。 多くの批評家、理論家、記号論者は詩人として失敗した。 批評と理論は単なる知的努力によって比較的簡単に習得できるのに対し、良い詩を作成するには共創的な行為が必要であり、創造者のすべての知見が同時に抑制されたり害を及ぼさないように同時に進むからだ。そのため、フリードリッヒ・シュレーゲル(同じロマン派時代の)の結論が簡単にその有効性を失うとは思わない:有限性以上の(ロマンティックな)詩(その詩を含む)は、それ自体が無限になり、自分の言葉、それは「進歩的な普遍的な詩」である。
(From "Of Poetry, of My Poetry" (an essay). Originally written in 2005 in Spanish, the essay was published for the first time in Italian translation, in my book of poems translated by Pietro U. Dini and Albert Lázaro-Tinaut, Primavera e polvere (Spring and Dust), Novi Liguri: Joker Edizioni, 2012.)
もし時間があれば、フリートークでエストニア詩人とわたしの詩業について話す。クリスチャン・ジャック・ペターソン(1801-1822) 最初の自動筆記エストニア詩人、思索家、エストニア語の美しさを称揚。彼の詩は早まったかれの死とともに100年後も出版され続けている。
ESTONIAN WRITERS ONLINE DICTIONARY. (https://sisu.ut.ee/ewod/avaleht)
There one can find abundant data about translations and treatments of Estonian literature in foreign languages worldwide.
詩とはなにか
オドヴェイグ・クライヴ
わたしたちに答えはあるのでしょうか。ないと信じます。でもなお、わたしたちは書き続けています。そして詩を読んでいます。しかしこの目的のためにはむしろ哲学をもってできたのでしょうか。
いかに人間であるかについて思うことを表現するひとつの方法なのではないでしょうか。
たぶんそうでしょう、たぶんそうではないでしょう。詩は感情についてだけではないのですから、詩にあなたはときどき感情を見出すことができます、そしてときどきは数学を。詩のなかにあなたはときどきは夢を見出します、そしてときどきは事実を、そして政治を。
では詩とはなになのでしょう。わたしは正解を与えることはできません。そしてそれがわたしの幸福なのです。わたしの信じるところは、現実はわたしたちが想像できるものよりさらに大きく、深いのです。そしてわたしの詩は、「言語がこの現実にちょっとだけ明確に述べることができる」この存在の内部にむけて書かれているのです。いつも「ことばを見出すこと」のようにしているわけではないのですが、わたしたちは人生に可能性に目覚めるのだ。しかしわたしはずっと考えています、映像を見出すことも可能なのではないかと、「地球詩運動」(Geopoeticon) をいまからお見せしましょう。
詩はわたしにとって存在の方法です。すべてのものの「沈黙」も含めての方法です。そしてこの「沈黙」とは何でしょう。説明は簡単ではなりません・・・
しかしそれは生き生きした感情の方法をもってするべき何かがあるのです。わたしたちの存在、行動の場を分け合うことの方法が、目や耳をつかって、他の感覚をつかって、気づくために。そしてわたしたちは沈黙の一種がなければわたしあっちは気づくことができないのです。
わたしは、ちょうどいま、「詩的な」時代ではないと思うのです。多くの声が大声で叫ばれています。しかし、詩はいつでもそこにいます。わたしは、本当に信じているのです。もっとも強い文化的表現のひとつとしての詩のなかに。
わたしは詩人として関わることは、気づくことなのです。沈黙に関心を払うことなのです。話すことなのです。
多くの人々は絵(映像)をとおして現実を知りえたものです。これはかれらがーイメージを共有することでお互いに話すことを学ぶ方法でもありました。
この遠近法でわたしは絵はコミュニケーションの有力な方法であると気づいたのです。しかし一方では、どこにでも惹きつける絵はふんだんにあります、そしてわたしたちは自動的に身構えてしまうのです。
この代わりにわたしは娘のプロフェッショナルな映画監督カリ・クライブースタウグと詩的な映画プロジェクト「地球詩運動」を創造しました。地球詩運動は、現代世界詩人の言葉・政治・地理の障壁を超えてポスターや芸術動画でヴィジュアルな詩を創造するものです。いまヨーロッパ、アジア、北米、南米を含みます。わたしたちは長年これに携われ、詩を聴くことができるビジュアルな空間を創造してきたのです。
JUNPA詩歌祭において、今回の試みはセミナーの時間を多く取りました。二日間のあいだに朗読だけでなく、互いの関心事にじっくりと意見を交換すること、そこから得られる新たなステージを大切にした時間です。これからも続けたいと好評でした。
インタビューだけでは得られない双方向の意見交換は時間を要しますが、得難い価値がありました。
また「未来はAIが愛を謳う?」もタイムリーな話題でした。
At the JUNPA Poetry Festival, this attempt took a lot of seminar time. During the two days, we valued not only reading aloud, but also carefully exchanging opinions on each other's interests, and the new stage that we gained from that. It was well received that I wanted to continue.
The two-way exchange of opinions that cannot be obtained through interviews alone takes time, but it was worth it.
Also, "In the future, will AI express love?" was also a timely topic.